ハッピーメーカー中前の個人史

現在、実践で培ったコンサルティング手法を基に、大手企業のPM・SEの提案力・ビジネスソリューション(問題解決)力を向上させる研修などを手掛ける社長のスタート。

バブル崩壊、かなり無謀な独立と、阪神大震災…

起業家としての成長となったきっかけ

私は、父が画家でイタリアに留学していたので、イタリアのミラノ市で生まれました。
その後、6歳頃まで現地で生活し、父が日本に帰省すると共に実家のあった大阪に引っ越してきました。
ラテン気質と大阪のこてこて魂が私を情熱家へとしてはぐくみました(笑)

そんな私がIT業界に入ったのは今から15年前の92年の春、当時バブルが終焉を迎えつつあったころです。徐々に陰りが見えてきたとはいえ、まだまだIT関連の仕事は案件がたくさんありました。

私は学生時代、パソコンには興味があったものの、一切の知識はなく、入社した会社でプログラミングを学びました。まだ、右も左もわからなかった私に、入社して早々、仕様書を渡され、3ヶ月後に納品ですと言い渡されました。
「えー!」っと驚きを隠せない私を察したのか?上司は、「大丈夫、すぐに出来るようになるから…。分からなかったら、先輩たちに聞いて!」ってな感じで宥められた記憶があります。

しかし、十数人の小さな会社、忙しくしている先輩たちに聞ける感じではありません。
仕方がないので、書店で関連する本を買いあさって、開発した記憶があります。

何とか、その仕事も納品でき、それからいろんな仕事をさせていただきました。
ソフト面では販売管理・レジ・会計ソフト・CADなど、ハード面では、シリーズのパソコンから汎用機まで実に様々なコンピューターを手がけました。小さい会社だったので、新人の私にもどんどんと仕事が回ってきました。

そのおかげで、入社2年目には独立できるほどにスキルがついていました。
(その分、徹夜は当たり前、残業で週数十時間働いていました。)

その後、バブルの崩壊が私の会社にも直撃しました。
リストラが始まり、数名が辞職し、依願退職者が社内で募集されました。その時、私は迷わずに「起業」という道を選びました。お世話になった先輩たちや上司と会えなくなのはつらかったですが、希望に満ちていました。

それが私が初めて、システムエンジニアとして起業したときで、年齢は僅かに22歳、若気の至りとはいえ、今考えるとかなり無謀な独立でした。
しかし、この時の経験は今の私にも必要でしたし、この経験があったことは起業家としての私を成長させてくれました。

はじめは、これまでに会社でしていたお客様を引き継ぎ、システム開発を行っていました。
その内、先に独立していた先輩のから声がかかり、共同でプロジェクトを管理するようになりました。大変でしたが、今となっては楽しいかった思い出です。

しかし、共同で開発していた長期の仕事が突然、無くなり、危機に立たされました。
そこで、電気屋・飲食店・コールセンターなどのアルバイトをしながら、生活費を稼ぎ、夜は開発を行いました。

そんな生活が何年か続いたころ、私の人生を揺るがす大きな事件が起こりました。

阪神大震災。震度7の地域、幸い、私の家族に怪我はなかったのですが、家の中はぐちゃぐちゃ、タンスが目の前のところで寸止めでとまってくれたおかげで私は難を逃れました。
その後、震災の復興のボランティアに半年ほど従事し、その間、システム会社は休止しておりました。

ボランティア活動も終わり、これからどうしようか?と悩んでいた時、ある一本の電話がなりました。それは、access(アクセス)などの技術者向けの通信教育を手がけていた、BSLシステム研究所のY社長からの電話でした。

知人を介して私の事を知ったようですが、「今度、大阪に支社を出すので、ぜひ手伝ってもらえないか?」というもの。

胸の躍るような申し入れに、二つ返事で「はい」と答えてしまいましたが、それからの2年間は実に血の滲むような苦労が待っていました。

(つづく…)


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